短いお話とかを書きます

大学で一年を過ごして

大学に入学してから早いものでそろそろ一年が経とうとしている。この春休みは旅行に行ったり、スキーをしたり、テニスをしたりして時を過ごしているが、バイトをやめたままの状態なので多少時間がある。人というのは時間があるとなぜか思考の沼に嵌まっていくものなのであろうか、自分もいろいろなことを考えたりしている。

 ご存知の方も多いかもしれないが、自分は高校卒業後一年の浪人を経て今の大学に入った。高校→予備校→大学というルートをたどる中で、大学という環境における人間関係の特殊性に気が付いたように感じている。

 

その特殊性とは、なんといっても多種多様な人の存在であろう。自分の通っていた高校は中高一貫校であり、高校からの募集もなかったため、同じ中学入試を通過してきた人が六年間を共に過ごす環境であった。

 

それなりに名の知れた中高であったので、周りの生徒たちはみな非常に優秀であった。小学校時代は適当にやっていても誤魔化せていた(ほんまか?)ように感じていた勉強面でも自分はかなり劣っていた。そもそも中学受験時代にほとんど勉強していなかったため、どうやって勉強をすればいいのかがわからず、中一の一学期中間試験では早速英語の補習に引っかかり(学年下位20人くらい)代数の試験は60点(59点以下が赤点)などという悲惨な結果を連ね、230人ほどの学年で180番くらいを取ってしまうといった惨憺たるものであった。期末試験以降は多少改心したものの、大体学年の真ん中くらい、一番良かった時でも学年40番くらいしか取ったことがなかった。

 

学力面で多少の引け目を感じながらも、たまには自分でもいい成績(一科目だけ良かったりしただけだが)を取れたりすることもあり、学力のせいで学校が嫌になったりすることはなかった。

 

その背景には、どの生徒も同じ入試を突破してきているうえ、一学年の人数が比較的少なく(大体220~230人)生徒の質が割と均質であることがあるように感じる。

 

このような均質さがあると、会話などもスムーズに行うことができ、結果としてストレスをかなり抑えることができるのではなかろうか。

 

前述のとおり、「勉強法がわからん」とか「まあ受験になればなんとかなるっしょ!中学受験もなんとかなったし」とか言っているうちに気が付けばしっかりと浪人をキメ、予備校を選び、河合塾の本郷校に通うことになっていた。

 

本郷校は東大受験専門校舎ということもあり、首都圏の有名校卒の生徒が非常に多かった。自分と同じ高校卒の人も10人以上在籍していたほか、筑駒、開成、駒東、麻布などなど、名だたる名門校出身の生徒が多数存在した。

 

環境が変われば人間関係も大きく変わると思っていたが、塾でよく話すようになった友人は有名校出身の人が多かった。するとどうなるであろうか。彼らと自分、それぞれが小学校~高校で経てきたルートは非常に似通ったものになるのである。皆、優秀な同期に囲まれて六年間(3年の人もいるが…)を過ごしてきたのである。

 

結果的に、浪人時代にした会話は中高時代のものと非常に似たものであったように感じた。ハイペースなバカ話、煽りと突っ込みの応酬

 

そんな会話は数少ない浪人時代の癒しであったのかもしれない。

 

浪人時代、そんな馬鹿話しかしていなかったと思われるとさすがにアレなのだが、一応それなりには勉強していた。まあ周りのガチプロたちのように東大に対する執念を抱くことはできなかったように感じる。とはいえ、浪人時代には「数学結構面白くね?」とか「世界史全然わかってなかったなぁ」とか「古典も面白いかも!」みたいに小学生のとき以来感じることが少なかった勉強することの面白さを久々に感じられた。

 

こんな浪人時代を経たものの、結果としては第一志望には落ち、第二志望であった今の大学の今の学部に進学することになった。(現役のときのビハインドが人間とは思えないほどデカかった…)(なんで浪人の一年間で二次試験の点が70点も上がるんだ?)(なんで70点上がった落ちるんだ?)

 

このように、比較的似た境遇の人に囲まれて過ごしてきた日々とは対照的だったのが大学での生活である。

 

まず、学生多すぎ

 

自分の所属する経済学部は自分の代だけで1100人もいるらしい(入学式のときは1111人って言ってた記憶がある)経済学部のほかには商学部、法学部、文学部、理工学部、薬学部、医学部、SFCなどがあり、バカみたいな人数の学生がいるのだ。

 

これだけ多くの学生がいるということは、それだけ多種多様なバックグラウンドを持つ学生がいるということである。

 

まず最初にそれを痛感したのはサークルの新歓合宿の際に、自己紹介で出身校を言っていったときであった。地方出身の人の高校を知らないことは予想していたが、首都圏の学校でも知らないものが非常に多いことに驚かされた。

 

これは非常に失礼なことであり、それまで自分が知っていた世界がいかに狭いものであったかを痛感することになった。

 

大学における人間関係の難しさはこのようなバックグラウンドの差異の大きさに起因するように思う。こちらは、出身高校ではいわば落ちこぼれ、たいして彼らは出身高校の優秀層。(どちらのほうが優れている、などということを言いたいわけではない)

 

この差はかなり大きな障害になっているのではないか。(まあ、大学としてはいろいろなバックグラウンドを持つ学生を入れたいのであろうが)

 

日常的に感じるのは、会話のテンポの差である。今までの会話は割とハイペースなパス回しをしているイメージだったのに対し、今はゆっくりパスをしていく感じ。それまでの感覚でちょっとボケたり突っ込んだりしようとすると「???」みたいになってしまい、いわば会話のオフサイドを取られてしまうわけである。自分の中では説明不要なことをいちいち説明するのはやはり次第に面倒になってしまう。

 

そうなると、どうしても自分のパスのスピードに合った友達とばかり話すようになってしまうように感じる。だって気楽に会話したいじゃない、人間だもの

 

他に違和感を感じるのは、自分が勉強の質問を受けてること。

今までは自分に勉強の質問なんてするやつはいなかったのでこの違和感は拭えない。自分ごときが教えるのは失礼だし、そもそも教え方がうまくない。

質問するならもっといいひと見つけたほうがいいですよ…

まあ返信が早いから聞きやすいのかもしれないけど…

 

 

 

相変わらずぐだりまくっているのでそろそろ締めたい

 

とりあえず、大学の定員多すぎ。

いろんな背景を持つ学生を呼びたいなら、定員増やしたり変な推薦とかするんじゃなくて、魅力的なコンテンツを用意しようぜ

聞く気なんてハナからない学生、やる気のない教員、クソつまらん授業(特に般教なんて金返してほしいくらい)、クソみたいな履修システム

あんなのでいい学生が進んで進学してくるわけないでしょ

 

今の大学入ってよかったこと?

 

世の中にはいろんな人がいるんだな~ってことが分かったことか

あとは、普段仲良くしてる人に会えたことかな

 

なんか今の大学で中途半端なまま終わるのも嫌なので、何か一つくらい「これならできる」ってものを作りたいし、こんなに授業をディスっているからにはある程度成績も取らないといけない。

 

ということで、二年生の目標は何かしらの分野において強くなることと、せめてサークル内では最上位の成績を取っておくことくらいにしましょう。成績に関してもなんだかんだいって、一番じゃないのもなんか納得がいかないのでどうにかしたい(一夜漬けをやめろ)

 

任意のガチプロの方は、いろいろと指南をお願いします。