短いお話とかを書きます

海の見える喫茶店(第一話)

昔は全く愛着がわかなかった鎌倉。

社会人になって都内で一人暮らしをするようになったが、日々疲弊していた私の心は幼いころから慣れ親しんできた鎌倉の空気を求めるようになっていた。

 

私の生まれ故郷は神奈川県南部に位置する藤沢市。ひょっとしたら藤沢の東側にある鎌倉とか西側の茅ヶ崎の方が有名かもしれない。生まれは藤沢と言ったものの割とすぐに鎌倉市内に引っ越したため、私の青春時代は鎌倉とともにあったと言ってもいい。

 

 

通っていた高校は鎌倉駅から江ノ電で20分弱の駅にあった。観光地というだけあって下校時刻の江ノ電は混んでいることが多かったし、彼らの話し声の大きさにうんざりしてしまうことも多々あった。おまけに江ノ電ってやつは遅いのだ。所要時間20分弱と言ったが距離で言えば5キロもないくらい。マラソン選手なら江ノ電に乗るより走った方が早い。そういうのんびりした雰囲気も当時はあまり好きになれなかった。

 

 

鎌倉を離れたのは就職がきっかけだった。どこかのんびりした鎌倉の雰囲気や年中観光客でごった返す街に嫌気がさしたというのもあるが、何よりも大きかったのは通勤時間だ。家は小さくてもいいからできるだけ会社の近くに住んでしっかり寝たかった。どんなに仕事が忙しくても睡眠時間だけは譲れない。これは自分の身体との約束でもある。というのも、大学時代に友達と夜遅くまで飲んだり遊んだりして完全に昼夜逆転生活を送っていた結果、突然身体が言うことを聞かなくなってしまったからだ。それほどストレスがあったわけではないのに睡眠をおろそかにすれば簡単にメンタルが崩壊してしまう。病院には行かなかったので正式に診断を受けたわけではないが、いろいろ調べたところ鬱の症状に近かったように思われる。周りの人の支えもあり、幸いにも重症化する前に回復して大学も無事に卒業、仕事もそれなりにうまくやれるようになったが身体だけは自分で守るということを決意したのが大きな理由だ。

 

 

仕事はあまり好きではない。大量のメール、意味があるのかわからない会議、残業、おまけに好きでもない上司に飲みに連れていかれる。無味乾燥な日々の中心にあるのはそういう労働になってしまった。落ち着いた街で育ったのが大きかったのだろうか、都会の空気は妙に張り詰めたものであるように感じられる。観光客で混雑する江ノ電とはけた違いの乗車率の通勤電車。どうやってあれだけ多くの人間が一両の電車に入っているのだろうか。「電車に乗るとき、人間の身体は伸縮自在になる」みたいな説を提唱したいレベル。伸縮自在な素材として人間が使われる日も近いかもしれない。

 

いや、怖い怖い。

 

 

働き始めて半年もすれば私は都会での生活にうんざりしていた。どこかでメンタルを充電したいなぁと思っていた時、ぼんやりと眺めていたFacebookにこんなものが流れてきた。

 

 

 

「我らが鎌高から歩いて4分の所で喫茶店を始めました!それほど広いお店ではありませんが、ゆったりとくつろげるお店です!海の見えるお店でお待ちしております」