短いお話とかを書きます

自省

ただいま深夜3時26分

早く寝るべきなのは明らかであるが、自省のためにこれを書く

 昔から母親に口だけの男だと言われてきた

元からそうだったのかは不明

そのような言葉を聞いていると本当にそういう人間になってしまうというのもありそうだが、言ったことを遂行しないでいるのを母の言葉のせいにするのはあまりにもお門違いだ

 

日ごろから「自分のことを軽んじてくる人と関わることほど精神に悪いことはない」と言ってきた。それは間違いではないと今でも思っているし、今後もおそらくあまり変わらないだろう

 

そもそもだ、そもそも、私が周りの人のことを大切にできているのだろうか

 

もし自分が他人を軽んじているのならそれを周りの人に求めるのはおかしな話である

 

 

人と関わるうえで私たちは相手に対してなんらかのキャラ付けをしてしまうものであろう。「この人はこういう人」だというキャラを作ることで人間関係が多少スムーズになるはずだからである。「この人はこう接するのがいい」というマイルールを持つことで他者と関わりやすくなる。

 

しかしそれは「マイ」ルールに過ぎないことを忘れてはいけない

 

それを忘れると相手に勝手に期待して、勝手に役割を押し付けて、勝手に裏切られた気になって、勝手に失望する、挙句の果てには相手を自分の中で悪者扱いしたりする

 

相手に問題がないにもかかわらずだ

 

誰だって自分が正しいと信じたいものだ

 

 

 

 

常に自分が間違っていると決めつけて自分を悪者扱いするのはこの世にあるもっとも甘い罰だろう

 

非常に身勝手な自責の念に自分を晒すことで自らを罰した気になる

 

それを続けている限り自分は常に悪者であり続ける

本当は自分が悪くなくてもだ

 

自分を責めるという行為は自分を罰するという点で良い行為のようにも見えるが、実際は何も考えていない

何も考えずに自分が間違っていると決めつけ甘い罰を下す

他人から何を言われようと「悪い自分」でいるという甘美な罰に浸り続けられてしまうから抜け出せない

 

 

 

 

そういう甘美な自責に浸る人間、自分が正しいと信じる人間、そして最後が自分が間違ったときだけ適切に自分を罰することができる人間の三種類がいるように思われる

 

自分はおそらく二番目

 

自己肯定に近いものであるかもしれないが、私の考え方はおそらくもっとひどいものだ

 

私は常々「自己肯定感は自己完結して初めて意味がある」「自己肯定の根拠が他者による何かである時点でそれは自己肯定ではない」と言っている

 

私の感情はこれではないように思われる

 

自分が最も嫌う「他人を勝手に悪者扱いして自分に正義があると決めつけることによって自己肯定擬き」を味わっている状態そのものであろう

 

 

これを脱するためには良くも悪くも自己完結する必要がある

自己肯定する根拠は自分自身でなければならない

 

とくに自分自身の行動を根拠にするしかない

発言しただけでは意味はないのだ

言葉ではいくらでも綺麗なことが言えてしまうのだから

 

綺麗ごとは嫌いではない、むしろ好きな方だ

理想を語るのは楽しい、小さい子供が楽しそうに夢を語るように大人になっても理想を語るのは楽しいのだ

 

だがそれは行動に移して初めて意味を持つ

 

マルクス経済学では財というのはそれが消費者に買われて初めて意味を持つという

 

このステップを命がけの跳躍というそうだ

 

理想を語るだけでは意味がないのだ

行動せよ

 

行動に移さないのもある意味甘美な行動だ

行動しなければいつまでも失敗しないのだから

 

命がけの跳躍をするしかないのだ

 

誰かにとって大事な人間でありたいのなら自分が誰かを大切にする

それだけのことだ

 

誰かを大切にすることとその人に期待することは違うことを忘れるな

 

勝手に期待して勝手に裏切られることほどの相手への軽視はない

 

相手をしっかり見る、それだけでいい

 

自分と近い感覚を持つ人を見つければその人と仲良くなりたいと願うだろう

事実そういう人は数多くいる

だが、そのような人であっても当然ながらすべての感覚が自分に近いわけではないことは絶対に忘れてはいけない

 

ここが今の自分には欠如している

 

感覚の違いを嘆くな

まず第一に、似た感覚を持てている側面があることを喜べ

そして、余裕があれば感覚の違いをも面白いものとして見ればいい

 

 

2020年の初頭だっただろうか

 

「誰かに楽しさとか喜びを伝えられる人になる、悪い側面ばっかりに目をやらない」といったようなことを言った気がする

 

今のままでは明らかに悪い側面ばかりに目をやっている

 

すぐに何かを愚痴るし、他人のプラス面よりマイナス面を見ることが多いように思われるし、発言もそう言うものが多くなっている

 

何が楽しさを伝えるだ、ちゃんちゃらおかしい

 

まず小さな喜びでしっかりと喜ぶことだ

自分の考え方や行動は変えられる

 

自分がやるべきことをやれば誰か自分のことを信じてくれる人間が出てくるかもしれない

 

そういうところが今の、いや、今現在に至るまですべての自分には大きく欠如している

 

マーシャルは"cool head but warm heart"であることが大切だと言ったそうだ

 

小さな喜びをしっかり見出してそれを喜べるような"warm heart"を持てるように

 

 

このまま続けていると、まさに先ほど言ったような甘美な自責になりそうだ

 

さてちょうど四時を回った

 

自分で言ったことを守れ、信じてくれる人を裏切るな

 

ただそれだけ