人波と二人乗り

絵空に見ていた儚い夢だ

これから飯田経済史の話をしよう#5

前回は古ゲルマンについて学びました。

cleveland0714.hatenablog.jp

今回からは時間を進めた話をしていきます。

今回のテーマは封建的農業制度です。これを三つの観点から見ていくことにしましょう!

 今回と次回の二回を使って封建的農業制度を①古典荘園②フーフェ制③三圃制の三つの観点から見ることにします。今回は一つ目の古典荘園についてみていきます。次回の記事と合わせて読むと情報のまとまりが良くなると思います。一本にまとめると長くなってしまうので、二本に分けさせていただきます…

 

封建的農業制度は8~9Cカロリング朝(751年~)の頃から出てきました。これ以前のメロヴィング朝のころまでは古ゲルマンの制度が根強く残っていたようです。

それでは本題に入っていきましょう。

 

 

①古典荘園

簡単に言い換えるなら「領主による支配」という観点から見ていきます。

 

古ゲルマンの時代には氏族ごとに農民もある程度独立していました。すなわち農民層であっても自作経営を行っていたわけです。貴族は奴隷に居所だけを与えて、奴隷を利用して経営を行っていました。最も顕著な特徴は「貴族に従属していたのが奴隷だけ」という点です。これを踏まえて進んでいきましょう。

 

時代を進めます。封建的農業制度が始まると土地は大きく分けて二分化されます。一つが領主直営地、もう一つが農民地です。そして、農民地をさらに細かく二分化することができます。もともと自由農民層にあった人ともともと奴隷層だった人たちです。

 

古ゲルマン期には自由農民層は独立していたのでした。その彼らが領主の支配下に落ちてしまったのです。なぜ身分が転落してしまったかというと、以前話したこととつながるのですが、そもそも武装可能だった人間が貴族に位置していたわけですが、農民層は武装できないため、貴族に土地を守ってもらう(安堵してもらう)必要が出てきてしまったのです。

 

逆に元奴隷層は古ゲルマン期に比べて身分向上したと言えます。奴隷層はもともと居所だけを与えられているのでしたね。その彼らが土地を獲得ました。こうなるともともと奴隷層にあった人達の待遇がもともと自由農民層だった人達に追いついたと言えますね。こうなるともともと農民であった人も奴隷であった人も区別はありませんね。

 

彼らは領主から同等の扱いを受けるようになりました。さて、その扱いとはどのようなものだったか。彼らは等しく、領主直営地での賦役を課されたのでした。賦役とは簡単に言えば「労働を納める」ことだと言えるでしょう。自分の土地をもらう代わりに領主の土地での労働も担ったのです。

 

これは古ゲルマン期と比べると大きく様子が異なりますね。少し振り返りましょう。先ほど古ゲルマンについて話したとき、貴族は奴隷を利用、「貴族に従属していたのは奴隷だけ」だったと言いました。いまや旧奴隷層だけではなく、旧農民層も領主(≒貴族)につかえるようになってるわけです。

 

これで封建的農業制度の大枠がつかめたと思います。せっかくなので、もう少し領主による「支配」の側面を見てみましょう。

 

おおきく分けて二つの側面からとらえることにします。一つ目は土地の側面(土地領主制と呼びます)、もう一つは人身の側面(人身領主制と呼びます)です。

 

土地領主制のもとでは、領主によって「土地の移動」がコントロールされています。そもそも、領主が土地に対する上級所有権(≒完全な所有権)を持っているのに対して、農民は下級所有権(≒借地権)を持っているにすぎません。

 

では領主はこのような状況下で農民をどのように支配していたのでしょうか。

 

一つ目は地代請求権です。領主は農民に土地を貸しているわけでした。それの代償として直営地での賦役が課されていたことはすでに述べましたが、実はこれだけではなかったのです。領主の家とかでの労働、借りてる土地での生産物を納める、生産物を換金して貨幣を納める、などタイプは時代や地域などによりさまざまでしたが、いずれにせよかなり厳しい搾取が行われていたということです。これを領主は地代請求権の名のもとに行ってたのです。

 

もう一つは土地処分同意権です。何度も言いますが、領主は土地に対する上級所有権を持っています。農民が借りている土地であっても結局は領主のものなわけです。そうすると、農民は土地を勝手に売ったり、相続したり、貸したり、抵当に設定することはできないのもわかるでしょう。このような、「土地の交換にかかわる行為」をする際には領主の許可が必要になることを処分同意権と呼ぶのです。

 

これらの地代請求権・土地処分同意権により領主は土地の移動をすべてコントロールしていたのです。これが土地領主制です。

 

では人身領主制とはどんなものか。要約すると「直接、農民及びその家族を支配」するということです。「土地緊縛」と言われることもあります。

 

もう少し具体的にいうと、農民がほかの場所に引っ越すことや、結婚、子供の職業選択などに際して領主の意見を仰ぐ必要があるということです。ほかにも、当時12歳くらいの子供は親元を離れて奉公(賃労働)に出る風習があったのですが、その際に領主のもとで優先的に奉公をしなければならないという決まりもありました。

 

農民が何か動こうとしたら必ず領主が出てきて「なにしてんだ?あん?」って出てきては「君はこの土地から離れられないんだよ~残念でした~」って言って来るわけです。領主が他人の移動を完全にコントロールしていて、土地から離れられないという意味で「土地緊縛」と言われるのです。これが人身領主権です。

 

土地領主権、人身領主権で見たような厳しい支配が可能であった背景には、領主が土着していた、すなわち在地領主として君臨していたことが挙げられます。在地支配を行っているため、農民の細かな動向に対しても介入できたのです。

 

そして、このような頻繁な領主による介入によって、古ゲルマン期まで残っていた男系氏族社会が崩壊に導かれたと考えられています。よく考えてみれば、領主層には教会などが存在していたわけですから、宗教として存在していた祖先祭祀を黙認し続けるとも思えません。そう考えると道理が通っているのかもしれませんね。

 

以上が封建的農業制度を領主制の側面から見たものになります。次回は残る二つの側面、フーフェ制と三圃制の側面から掘り下げることにしましょう。ぜひ、次回の記事と合わせて読んでいただけるとありがたいです。

 

ではお疲れさまでした。