人波と二人乗り

絵空に見ていた儚い夢だ

これから飯田経済史の話をしよう#4

前回は発展段階論の話から初めて「ヨーロッパの特殊な道」論の導入までを扱いました。

cleveland0714.hatenablog.jp

今回は中世以前の古ゲルマンの氏族社会についてお話しします。

世界史をやってた人は少し懐かしい話になる部分もあるかもしれません。

楽しくやっていきましょう!

 今回主に扱う地域はアルプス以北、中世にフランクなどの国家が生じてくる地域です。

 

ゲルマン人はもともとバルト海方面にいたのですが、紀元前3世紀ころから南下を開始し、ライン川ドナウ川を結んだラインの北側に流入しました。この地域を「ゲルマン人の土地」という意味でゲルマーニアと呼びます。

 

しかし、ゲルマン人は次第にライン川を渡り、ガリ地方に進出し始めます。これに危機感を覚えたのがローマ帝国です。ここで動いたのがカエサルです。

 

カエサルさん「ローマ人は不安よな。カエサル動きます」ってわけです

 

紀元前1世紀にガリア遠征に乗り出したことは皆さんご存知でしょう。圧倒的な戦力を持つローマはこれに勝利し、ガリアはローマの属州になったのです。

 

紀元後9年にはアウグストゥスがついにゲルマーニア方面進出を目指してトイトブルクの森の戦いを仕掛けましたが、これは失敗に終わりました。

 

AD90~160にかけて、ゲルマンとの境界線を示すためにライン川ドナウ川を結んだ線の地域に土塁などによる「リーメス」を築きました。

 

これらの資料になったのがBC1C半ばに書かれたカエサルの「ガリア戦記」やAD98のタキトゥスの「ゲルマーニア」です。ご存知の方も多い資料でしょう。

 

タキトゥスの記述によると古ゲルマンには約50の国家があったそうです。それらの多くは王制首長制を敷いていたようです。首長制とは有力貴族らなどによる合議とかで国家の方針を決めていく制度ですね。また、多くの古ゲルマン国家は、重要事項を民会で決定していたという共通点がありました。

 

民会の構成メンバーは自由人・武装可能な人・成年男子でした。すなわち、武装ができるくらい裕福な身分の人たちだと考えていいでしょう。当時、武器は高価なものだったので、武装できるひとが限られていたのです。

 

古ゲルマン国家の身分制度についても簡単に見ておきましょう。おおきく分けて四つの身分に分けられます。上から順に①王・貴族、②自由民、③解放奴隷、④奴隷となります。①②が氏族社会を形成していたようです。

 

さて、古ゲルマン社会の構造に踏み込んでみましょう。

古ゲルマン社会の最も重要な特徴は、男系氏族社会が根強いということです。実はこの男系氏族社会が強いという特徴は古ゲルマンに限った話ではありません。ユーラシアではどこでも普遍的に見受けられるもので、とくに中国やインドでは顕著なようです。

 

この男系氏族の強さが後々のお話で非常に大事になってきます。簡単に説明すると、中世以降になると、例のサンクトペテルブルクトリエステ以西ではこれと異なる家族形態になる一方、以東では男系氏族社会が存続していきます。この差が、「ヨーロッパの特殊な道」の基礎となっていくことを覚えておいていただけると、後々のお話が分かりやすくなります。

 

さあ、そもそも男系氏族社会が根強いとはどういうことでしょうか。一言で言うならば、一族が男系親族の共住によって成り立っているということです。ある夫婦から子供が産まれたとすると、その子供のうち男子は家庭に残ります。その男子たちは外部の家族から奥さんをいただくわけです。女子はというと反対に外部の家族へと嫁ぐわけですね。これの繰り返しです。孫の世代でも男子が家族に残り、女子は外部へと嫁ぎに行くのです。

 

男系の共住とはそういうことです。その代わりに、女性は氏族間を移動(婚入・婚出)するのです。

 

なぜこんな風習があったのかというと、当時の信仰が関係しています。当時はまだキリスト教が広まる以前の状態であり、祖先祭祀が行われていたのです。その祖先祭祀で祭られていたのは男であり、儀式を行っていたのも男だったのです。その祖先祭祀を代々継続するためには男系氏族社会が適していたのです。

 

 一族の男子について閉じた社会が作られているとどうなるか。例えば婚入してきた女性が他氏族の男と体を結んだりすると重罪に処されたりするわけです。一族に属さない男の子供が一族に混ざってしまうことは祖先祭祀を崩壊させてしまうわけですから。それ以外にも男子を産めないこと自体も悪だとされたりしたようです。これは戦国武将とかをイメージするとわかるのではないでしょうか。また、そのような状況下では女子が生まれたところでその子は婚出していくだけで、一族にとってメリットはなかったので、女児の捨て子も多かったようです。今では考えられないことですね。

 

さて、家族制度を簡単に見ましたが、土地制度はどうだったのでしょうか。

 

各氏族は4~10戸くらいから形成されていました。氏族ごとに宅地と庭畑地を私有していました。耕地は共同でしたが、家の実力に応じて不平等に配分されていました。

 

また、当時は人口が少なかったため、必要になる食料も少なく済んだため、耕地面積も少なく済みました。とはいえ、同じ土地で耕作を続けると、次第に土地がやせてしまうので何かしらの対応が必要になります。今話したように、必要な土地面積が狭いため、土地が痩せてしまったら違う土地に耕地を移して耕作をすることで対応を図れました。

 

現代では同じ土地で集約的(intensive)に農業がおこなわれることが多いのと比較して、このような農業を粗放的(extensive)だということがあるようです。

 

さて、最後に古ゲルマンの奴隷について簡単に話して今回のお話を締めましょう。

 

先ほど述べたように、古ゲルマンで最下層に位置していたのが奴隷でしたね。以前ローマなどの奴隷についてもお話ししたことを覚えているでしょうか?ローマの奴隷制はかなり厳しかったという印象さえ持っていてくだされば十分です。

 

古ゲルマンの奴隷はローマのものと比べてマイルドだったようです。どうような面でそう言えるかと言いますと、奴隷であっても所帯を持てる、住居を持てる、自分の耕地を持てるなどの点です。いわゆる奴隷のイメージよりも恵まれているように見えるのではないでしょうか。とはいえ、結局奴隷であったのには変わりないので「奴隷もいいじゃーん」みたいに思い込むのはやめておきましょう。

 

以上で古ゲルマンについてのお話を終わろうと思います!

最初の方は世界史でやることと結構被ってた気がするのでなじみやすかったのではないでしょうか?

今回の話を踏まえたうえで次回以降の中世の話に進みましょう!何といったって私たちが今から本格的に見ていく「ヨーロッパの特殊な道」論は「経路依存性が強い考え方なのですから!

 

では今回はここまで

お疲れさまでした