記憶

思考の掃きだめ、雑記

トドカナイカラ

人間の感情を言語化するのってすごい難しいと思うんですけど、なんというんですかね…

 

 

なんか無性に寂しくなることないですか…

 

 

みんな、誰かから必要とされたい、求められたい、認められたいって思うと思うんですけど、なかなかねそういうのが満たされてる実感って得られないものですよね

 

なんなんだろうね

 

他にもね、結構仲いいと自分では思っている人について、自分がまったく知らないことがあったんだと気が付いたときとか、「あぁ、自分はこの人にとっては何ともない人でしかないんだな」とか思っちゃいません?

 

なんかそう思うと無限に悲しくなりませんか

 

勉強も運動もその他の面でも何か秀でてることがあるわけでもない

 勉強なら高校では下の方

 運動も部活では大した活躍もできず

 他にも得意なことがあるわけでもない

何かにすべてを捧げられるほど打ち込んだ経験もない

 部活も本気だったとは言えない

 受験勉強だっていつも中途半端だ。中学受験もさぼりまくってたし、大学受験は現役のときは本当に全く勉強してなかった。浪人してるときは多少勉強が楽しいと感じたものの、周りの人たちと比べてしっかり勉強していたかといえばそんなことは言えないわけです。

 

何もかも中途半端

 

昔から母親に「口先ばっかり」だと言われ続けてきた

 

そんな自分自身を好きになれないから、周りから好かれるはずもないって思ってしまう

 

でもふとしたときに思うんですよね

そんな中途半端な状況を改善しようとアクションを起こさない、そんな自分の態度そのものも将来の言い訳のためなんじゃないかと

 

そう思うとより一層自己嫌悪に陥るわけです…

どうやったらこの自己嫌悪から抜け出せるんだろうか

 

きっと何か自分を褒められるような結果を出すしかないんだろうね

でも、それって何なんだろう

 

例えば、今受けようか考えてる統計検定に合格したとします

それ自体は嬉しいでしょう

しかし、それだけで自己嫌悪から抜け出せるのだろうか

検定の合格なんて自分のためのものでしかないはずだ、それなのに内心では「周りからよく見られたいだけなんじゃないの?」みたいな考えが浮かんでくる気がするんです…

 

この「周りからよく見られたいだけなんじゃないの?」って考えが脳裏によぎることが非常に多いんです

 

普段から自分にとって大切な人たちには極力協力するようにしていますが、そんな時こそこの考えがよく浮かんでしまいます

そうすると、また嫌悪感が増しちゃうわけです

 

人間だれしもよく見られたいっていう願望はある気がするから、私が周りからよく見られたいと望むとしても仕方がないのかもしれない

 

しかし、大切な人への協力の背景にこういう願望が潜んでいてほしくないんです

純粋に手を差し伸べたい、そこに自分をよく見せたいという醜い感情があってほしくない

そんな風に考えてしまう日々です

 

この生活が続くとしたらこれを打開するのは非常に大変な気がします

 

そんな卑屈な自分を変えられるとしたら、誰かに一度でもいいから認めてもらったり、必要としてもらったり、誰かの支えになれたときなんじゃないかと思う

 

でもね、それってすごい大変

 

認めてほしい人、必要としてほしい人、支えになりたい人にこそ、認めてもらったり必要としてもらったり支えにしてもらうことは大変なんじゃないかな

 

思いはなかなかトドカナイカ

 

何故か君にだけ僕が伝わらない それだけわかった 捨てる様に 日々を生きてきたけれど 君は僕を まともな怖がりに変えてしまった 毎日君を抱きしめても どんなに強く抱きしめても 0.1㎜の不安が挟まったまま 毎日君に恋するため 毎日君を抱きしめよう 忘れるから 移ろうから 届かないから 大好きと 笑ってほしい(平井堅『トドカナイカラ』)

 

 いつか、誰かに必要としてもらえるように全力で