人波と二人乗り

0.1秒の遅さで色を変える、それの連続

春の訪れ 

思い返せば、去年の四月初頭、真新しいスーツに身を包み多少の希望を胸に入学式を受けていたのからすでに一年。桜はまた新たな花を咲かせ、次なる春を知らせている。

 

 

この一年間、何をしていたのだろうか。考えてみても何一つ形あるものを残せていないように感じざるを得ない。

 

適当に大学に行く。

 

適当に授業を受ける。

 

適当にサークルに行く。

 

適当に友達と遊びに行く。

 

適当にバイトをする。

 

適当にバイトをやめる。

 

 

 

 

 

本当にこの一年間を適当に過ごしてしまった。

 

 

大学の新歓期でサークルの勧誘をするために新一年生を眺め、彼らの姿に一年前の自分を重ねてしまうのは必然であろう。

 

なんら成長できていないのは明らかだ。

 

本当にままならない

 

とはいっても、陰鬱なことを言い続けていても仕方がない。こういう話をすると案外周りの人たちも気分が沈んでしまうものである。

 

「周りの人たち」という言葉から思ったのだが、そもそも私は広い人間関係をあまり求めていないように感じる。その代わり、関係を持つ人たちに対する期待値が非常に高くなってしまう傾向があるのではないかと最近よく感じる。

 

どうみても依存につながりそうだが、今のところは大丈夫だと思う。

 

また話がそれかけている。本当に悪い癖だ。

 

 

 

この一年、何がいけなかったのか。

 

自分なりの答えは「目先のモノにとらわれ過ぎていた」というものだ。

 

高い学費を払ってもらっているのにそれをどぶに捨てるわけには行けないから大学へは行く。

 

大学に行ったからにはすることもないので授業に出る。

 

運動が好きだから運動するためにサークルに行く。

 

そのなかで仲良くなる人が当然出てきたので一緒に旅行に行ったり、近場で遊んだりした。(これは楽しかったので他とは少し違うけど)

 

遊ぶには当然資金が必要なのでバイトをする。とはいえやりたくもないバイトに時間を取られたくないから、時給が高かった家電量販店のバイトを始める。

 

半年ほどやったが、バイトの接客・販売のトークなどで感じる見えないストレスが積もってバイトがどんどん嫌に。それなりに貯金もできたためそのままやめる。

 

こうしてみると、自分の意志でやっているものがあまりない。常に流され流され今に至っている印象だ。

 

 

 「昨日の自分と100回戦って51回勝てる自信」をもてることがどれほど大きいだろうか。「日々あくせくして生きる必要ない」っていうのは本当に心にしみる。

 

ということで、しっかり自分を高めるために何かしっかり「これは頑張る」っていうものを定めて、それをじっくり「目先の結果にとらわれず」続けていくことを大学二年の目標にしたい。

 

 

自分の大好きなシンガーソングライターの椎名林檎の『罪と罰』のフレーズでお別れにしよう。

 

不穏な悲鳴を愛さないで

未来等見ないで

確信できる現在だけ重ねて

 

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